出でよセロトニン

考えが円環を形成して、元出た所に戻る。怒りを静めるために実力で有名になることを目指すと、その実力を発揮するためにはメロビーニョというツールが不可欠となる。そして、メロビーニョを完成させる為にはやる気を引き出さなければならず、そのためには怒りを解消しなければならなくなる。宝箱を開けるための鍵が、その宝箱の中に入っているという堂々巡りだ。とはいえ、人生の宝箱の鍵は恐らく一本しかないということはないのだろう。ここで鍵となるのは「やる気」である。怒りをアースする事でうしなわれた気力を、どうにかして引き出すことが出来れば、閉じていた停滞のループは希望の世界に開かれ動き出すだろう。

やる気をテーマにした本を3~4冊読んでみた位で、やる気が出ないと嘆くのではなく、もっと沢山読むべき本はあるはずだ。今までは、モチベーションそのものの本やオーラや魂の本を読んでみたが、脳内分泌物質からのアプローチはまだだった。ネットで少し調べたところによると、やる気物質である「ノルアドレナリン」を抑制する働きが、私のやる気を低下させている原因であることが分かった。ノルアドレナリンは怒りとやる気をもたらすものなのだ。怒りを抑制するのではなく、解消する方向で進めることも出来そうである。この方面ではサンドバッグが役に立つ。というか、次から次に湧いてくる怒りそのものをやる気に転換する方法もあるだろう。怒りから続く憎しみへの階段のどの程度まで安全に昇れるのか、この辺のさじ加減が微妙であり大切だ。怒りと憎しみは精神の暗黒面であり、活用方法を誤れば、自他を不幸にすることになるからだ。

かつて読んだ本では、魂が喜ぶ暮らしをすることが、気力をもたらすとあった。脳の仕組みでいうなら、幸福物質「セロトニン」が、気力のバランスを取る働きをするという事らしい。これは、かつて気力の源として、アニメやゲームなどの文化的産物が役に立つと感じた通りである。アニメやゲームに触れているときだけは、幸せな気分に浸れることがわかっている。アニメはほぼ毎日無料で放送されているので、ビデオデッキさえ持っていれば好きな時間に楽しめる。ゲームは趣味としてはそれほど贅沢というわけでもない。月々ある程度の金額をこれらコンテンツに割くだけで、セロトニンを安定して分泌できるのではないだろうか。手始めにクリエイティブ賛歌である「バクマン」の電子書籍を少しづつ購入してゆこう。

空気通信:レールと産声

作り物の人生を歩んでいる、という感覚が消えない。目前に敷かれている見えないレールと、自らの望む未来への意思の間に齟齬が生じているのではないだろうか。自分の周囲を巡る情報の流れから隔絶した牢獄に閉じ込められているという感覚もある。一時は、この情報の隔絶の理由に「シャーマンとしての感覚を研ぎ澄まし、通過儀礼として自力で真実へ至ることを求められているのだ」という想像が当てられていたのだが、よく考えてみると周囲から私がシャーマンであることを求められるようなこともないのである。では、見えないレールはどこに向かっているのだろう。身近な人々の言外のニュアンスから感じ取れるのは、「権力者」へのレールである。そのために深い見識と、縦横の知略、そしてやさしさが求められていると感じている。そのことが、かつて卑弥呼の末裔と自分自身を一瞬誤解する原因となっていたのだった。

権力者の血筋が自分自身の理解の及ばない仕組みで、私の中に流れているのかもしれない。しかしながら、今や権力が世襲されるような時代ではない。少なくとも日本という国では。とはいえ、経済の世界では、権力の世襲はそれほど珍しくないことでもある。とにかく現段階では、どの様な権力の座に就くことを求められているのかを想像出来ない。と、ここまでレールを肯定する様なことを書いてきたが、自分の意思は見えないレールの行き先とは異なる方向を向いている。人類の進化のラインを、明るく楽しいほうへ押すという、人生の目標が第一にあるのだ。具体的には、地球という美しいが窮屈な殻を破り、宇宙のあらゆる方向へと世界を拡大させるということである。それを為すのに権力を用いるという暗い方法も無くはないが、私が望む手法はもっと明るく楽しいものだ。音楽や物語といった文化的創造物によって、進化の潮流を人類の内に醸し出すことである。人々が芸術に触れて高められた気分に乗って、自分の意思で高みを目指す様になることこそが私の理想なのである。

ガバナーではなくクリエイターであることを目指す自分にとって、メロビーニョというツールは欠かせないものだ。それを装備することで、私の作曲能力は爆発的に拡大するのである。しかしながら、心の中心でメロビーニョに渇望していて、それを制作する能力もあるのに、完成にはなかなか近づけないでいる。気力が湧かないのだ。その理由を分析すると、私の心が慢性的に怒りを抱えていて、その暗い雷で他人を傷つけてしまわぬ様に、アースする心の仕組みが働いている。それがやる気も一緒にアースしてしまっているということだ。すなわち、怒りが消えればやる気は出る。怒りの正体が何物なのかを良く考えてみたい。最も顕著なのが初対面の人物を会ったときに、相手側に自分への予備知識がある様に感じることである。また、知人と話しているときなどに、かつて一度も話したはずもない事柄に関する知識を相手が持っているように感じることである。そういう有名人であれば当たり前の現象が、無名の自分の身の上に発生していることに、不気味さと不条理さを感じてしまうのである。有名であることが嫌なのではない。なぜ有名なのか知ることが出来ないという、情報断絶が私の自意識を縛っている現状に絶望を伴う怒りを感じているのである。少し前まではまだ、真実を語る人物の登場を夢見ることで希望を抱いていたが、今となってはその点に関して明るい展望をもつことが出来なくなってきている。正直に言うと苦しい状態である。

考えればときには知恵の泉が湧くものだ。(虚偽・秘密・誤解)の濁流という情報公害から、自分の精神と夢を守るためにすべきことを思いついた。周囲の情報の流れに清涼な真実を流し込んで毒素を薄めればいいのだ。毒素そのものを無くすことが出来なくても、それを無害なレベルまで薄めることならば出来るかもしれない。すなわち具体的には、自分の実力で有名になるということである。そうする事で、出所の明らかな情報で周辺を満たすことが出来、出所の怪しい精神に有害な情報を薄める事ができるのだ。こうして、有名になりたいという新たな望みが心のなかに産声をあげたのである。

空気通信:最終回ならいいな

「卑弥呼の末裔たる私のシャーマンとしての覚醒を、全世界が固唾を飲んで見守っている」という現状を表現する着想を得たが、現実感がない。おそらく見当外れの想像なのだろう。それはともかく、ここ数日の平和な日々を迎えて、世界が驚くほど優しくなったことを実感している。私が心のなかにある鬱積した怒りや恐怖をネットに晒すことでスッキリしたというだけではなく、心ある人々の助けが得られたのかもしれない。ありがとう!しかし、恐怖が増大しているのを感じる。身近だが屈託のある人々の心の中に。これは、私を論理の牢獄から解放させまいと望む者が、私の無慈悲さを喧伝しているのではないだろうか?そうする事で、私が真実を知った場合の報復を恐れさせ、欺瞞の終了を防いでいるのだ。この様な状況の中から大団円を手繰り寄せるためには、寛容さと未来志向が必要なのだろう。

恐怖や怒りや憎しみといった心の暗黒面を増大させることで人を支配する者。虚偽や秘密や誤解といった情報の暗黒面を増大させることで社会を支配する者。これらが、私を閉じ込め虐げてきた者たちの本体である。事情を知れば、私とその者たちのどちらが悪魔に近い存在であるか容易に理解できるはずだ。よく現状を吟味して真実に近づくべく考えて欲しい。そして、より明るくて楽しい未来を到来させるために欺瞞の輪を終了して欲しいと私は切に願う。そのために私は宣言する。

・どの様な真実が知らされようとも、私は怒りにまかせて人を傷つけたりしない。
・私を虐げてきた者たちには人情をもって対応する。

欺瞞が終了した先には明るい未来が到来すると感じている。少なくとも私にとっては、閉じ込められ続けることに対する怒りが無くなり、怒りをアースすることで失った気力を取り戻せるのだ。そして、取り戻した気力をメロビーニョ完成のためにふり向けることが出来、クリエイターとしての収入を開拓し貧乏暮らしから脱却出来るかもしれないのだ。

不幸について

近頃はこの身の不幸を呪う日々が続いている。その不幸感の元となっている主な要素は、新しい仕事の内に、仕掛けられた数々の罠を見出している事である。慣れない職場で生じる大小のトラブルに、何者かのコントロールの気配を感じずにはいられないのだ。ありふれた日常の中に陰謀の幻影を投影してしまう事は、統合失調症の症状の一つであることは理解しているが、そのことを割り引いて考え直しても怪しい気配が消える事はない。にもかかわらず、長年にわたり続けてきた、「状況を作り出している何者か」との意思の疎通の試みは全く成功していない。もはやその何者かはコミュニケーションを拒絶しているとしか思えない。自分の生殺与奪を握っているかもしれない存在が、コミュニケーション不能であるこという現状が、そこはかとない恐怖と不幸感を醸し出している。祈りを送り天啓を得るという緩やかなやり取りでコミュニケーションをとることの出来る神のほうが、まだしも身近な存在である。

私の現在のネットでの意思表明は送信方向に完全に一方通行である(友人たちによるレスポンスを除けば)。だたし、15年ほど前の状況を思い起こすと、その頃の私は受信専門だった。今ほどネットが便利でなかったあの頃はSNSも一般的でなく、ホームページを持つという行為のハードルも高かった。その様に情報発信が難しい状態で、巷に流れる物語や家族友人の言葉に込められた当てこすりを継ぎはぎして、得られた未知の存在からのメッセージを精神に蓄積させてゆき、反論も訂正も出来ない出所不明の情報の濁流に飲まれ正気を失ってしまうのである。そういったあの頃の苦境を思い出せば、現状がよほど健康的なのは理解できる。ぶつけようの無い怒りや恐怖が湧いてきても、ネットに向かって表現をするという行為で苦しみを和らげることが出来るのだ。

自由時間に行う自己表現で癒されるのは確かだ。しかし自由でない時間に強いストレスを受けたときに自分の命を守る術が限られているのは問題だ。それというのも、不幸感が頂点に達したときに心に潜む悪魔がささやくのである。「自らの命を差し出すならば、おまえを苦しめている者たちに後ろめたい思いをさせる事が出来るぞ、すなわち自殺だ」と。この様な甘言のためにどれほどの人間の命が奪われてきたのか考えると恐ろしいことだ。そして、自分の命を自ら奪うことがどの様なことなのか、よく考えてみるのだ。たしかに、強い苦しみを受けたことを表現する事はできる。それによって、害をもたらした者たちをおびやかすことも出来るだろう。しかしながら、身近な優しい人々をも苦しめてしまうのではないか?そして、害をもたらした者の心の中に本当の悪があるならば、暗い喜びや達成感を与えてしまうことになるのではないか?自分の生きてきた世界の行く末を想像するならば、自殺が悪手以外の何者でもないことが理解できる。そういうやりとりを経てかろうじて自分の命を自殺から守ることが出来た。とはいえ、もしも人類や社会に対する憎しみを今よりも強く抱えていたとしたら、自らの自爆テロを防ぐ方法を思いつけない。いや、もしかすると「あなたに死んでほしくない」という一言が大事なのかもしれない。強い憎しみを抱える人間を包み込む無償の愛を、もしもこの世に広げることが出来たなら、テロは減っていくのではないのだろうか。テロの原材料は不幸という感情なのだ。

準初夢

正確には初夢じゃないんだけど(初夢は朝憶えてなかったので)、年始で一番インパクトあった夢。

なんか、人間型の謎の生命体が攻めてきて、秋葉でアンプの材料を守ってる夢。

アンプの材料を奪われると文明が崩壊するという危機(笑)。

で、武器は椅子。学校にあるような木とパイプで出来た椅子(笑)。

それをブンブン振り回したり、足を敵にむけてツンツン突いたりして戦う。

で、激しい戦いのなかで、秘蔵のマンガが敵の目にとまり、

そのマンガを貸すことを条件に講和が成立したところで目が覚めた。

富士も鷹も茄子も出てこないのが残念だけど、なんかちっちゃな迫力があった。

貧困と富豪のフロンティア

私は富を追い求める事を悪徳とは思わない。ただ富への執着が自他を不幸にする原因を作ってしまう事がある。そのことを避ける賢いやり方があるのではないかと考え続けている。財産や現金を多くもっている事が幸福に直結するわけではないが、持たざる事が不幸なハプニングに対する抵抗力を弱めてしまうことは確かだ。たとえば持たざることによって栄養失調を防げないなどだ。そういうことから、中産階級が一番幸せなんだと、感じている。

だからと言って、人類全員が中産階級になればいいと考えているわけではない。貧困が無くなればいいとは思うが、富豪までいなくなるのは考え物だ。「うる星やつら」から面堂終太郎を取り除いたり、「ケロロ軍曹」から西澤桃華を取り除いたりするのは無粋である。富豪は人生物語においても程よいスパイスなのだ。よき友人であること、富豪を目指す人間にとっては到達可能な目標であること、それが大事だ。

富める者と貧しき者の階級闘争をあおるのではなく、両者の協調の下に貧困を無くすことが出来ないだろうか?その答えは、絶え間ない経済成長と合理性のある再分配制度にあるのだろう。セーフティネットの行き届いた社会で、世界の価値を拡大させる事が、富める者に富を与え、貧しき者にも富を与える事が出来るのだ。

世界の価値を拡大する方向として、私は宇宙が最も有望だと思っている。宇宙に進出して人類が豊かになるというテーマが、私の人生のテーマと一致するのだ。

超未来志向

仕事が始まってからも、たまぁに月路に通って作品制作をする事がある。そこでは、増改築を繰り返して若干迷宮化しているメロビーニョと対面することとなる。そして、そんな作品の更なる増改築に切り込むための勇気を、音楽からもらっている。こういう、音楽を創るためのツールを作るために、音楽の力が欠かせないという、鶏と卵の連鎖の様な状態は興味深い。かつて石器時代から文明が進化するにあたって、素朴な道具をつかって素材を削り、そうやって出来たちょっと良い道具でさらに良い道具を作るという連鎖が繰り返された結果、人間は宇宙に行けるほどの道具を作りあげた。そういうことを思い起こさずにはいられない。そして、宇宙を生活の場にするという、超えられそうで超えられない進化のラインを、明るくて楽しいほうへに押そうという人生のテーマがここにある。

人類と科学の犯した若気の至りをあげつらって、人類と科学を断罪するという未来は既に、過去のものになったのではないか?人類は悔恨を乗り越えたのだと信じたい。そして、日本人はウツ経済を乗り越えて、ソウ経済へと至りつつあるのだと感じている。

人生航路と怒りのアース

やる気が低下してくると、やる気と対になって存在している万能感も薄れて、人生の目標の実現可能性が疑わしくなってくる。そして、気力が充実している時には順風満帆かと思われた人生航路の実情が、逆風や凪の道のりに思えてくる。そこで、そういう甘くない人生航路を切り抜けるために、風読み潮読みの知覚力が必要になってくるのだ。そんな時に、自分の知覚能力の足かせとなっている情報牢獄に対する怨嗟の念が心に広がってゆくことになる。

この苦しい心の状態を、そのまま放置すれば、テロリストか自殺者が地球上に1人増えることになるだろう。そうなってしまえば、世界の総幸福量を低下させる様な事にしかならない。幸い心の自然のメカニズムが、怒りのパワーを無気力化によってそぎ、他人や自分に命にかかわるほどの暴力を振るいかねないエネルギーをアースしてくれる。そのおかげで、精神の専門家に相談する余裕がうまれ、化学的に心を沈静化する手段を与えてくれることになる。ただし、精神の専門家に過度の期待をするのは禁物である。保険の適用される範囲の医療レベルでは、定期的なカウンセリングと化学的対処が限界であり、根本的な解決は自分の力で行わなければならないのだ。

とはいえ、病院で処方される精神安定剤は決して無力ではない。陰謀説にとらわれありとあらゆるものを疑わずにはいられないほどの暗い精神状態を、軽い放心状態まで引き揚げてくれる。まぁ、作品制作のためのやる気をもたらすほどではないのが、かつては不満だった。この辺は、いろいろ試行錯誤した結果、薬品ではなく音楽や物語などの文化的産物が担当すべき領域だということが解っている。話は戻るが、精神安定剤をもってしても無力化出来ない強い怒りというものもあった。これは、その怒りのたけを文章に書いて、SNSの日記として公開するという行動で解消することが出来た。多分文章に限らず、表現するという行為が心のバランスをもたらしてくれるものなのだ。そして、SNSのおかげでレスポンスまで得られる。自分の置かれている状況が完全な孤独というわけではないことが判って、あたたかいものが心のなかに生まれるのだ。

日記を読んでくれる皆様には感謝を。レスポンスをくれる友人には更なる感謝を。

回線増強しました

電子書籍を購入するようになってから、家のネット回線の細さが気になり出した。マンガ本1冊落とすのに30分もかかっていたのである。回線料金を倍払えば通信速度は30倍になるということなので、早速回線の増強を依頼した。通信速度のみの変更なので、工事は不要とのこと。明日の朝にモデムを再立ち上げすれば回線が早くなっているという事だったが、予想以上に手続きがはかどったらしく、注文の2時間後には利用可能になっていた。使ってみると超快適になっている。もっとはやく、回線を増強していればよかったとおもう。けちけちすることで、却って失っているものもあるんだなぁ。

紙の潮時

ここ数年、自分の部屋がちらかりっぱなしで、読みたい本などがなかなか見つけられないという状況が続いてきた。片付けようにも、なかなか物が捨てられないのである。特に本などは、また読みたくなった時のことを考えると、全然捨てられない。しかしながら、ここ数年で電子書籍の発行が増えてきて、読みたいマンガなどは殆ど電子書籍としても手に入る状況になった。まぁ、さすがに技術書などのマイナーな書籍は、紙媒体でしか手に入らないものが多いが、古くないメジャーなマンガやラノベはほとんど電子化されている。

ここが潮時なのだろう。

電子書籍として手に入れられるマンガ等を、思い切って古本屋に売ってしまおうと思った。たしかに、古本に比べると電子書籍は高い。しかし、アニメのDVDなどに比べれば安いのだ。そして、全てが1枚のタブレットに入ってしまう。久々に読もうと思い立ったときに、本棚をあちこち探す必要がないのだ。まぁタブレットの記憶容量にも限界があり、特にマンガなどの画像データは容量を食う。それでも、タブレットに入りきらないデータは一度買ってしまえば、いつでもクラウドからダウンロード出来る。月路には光回線があるじゃないか!

で、端末をどれにするのかで少々迷った。本当はiPadが欲しいのだが高い。また、読書用途がメインなので、アマゾンのKindle Fire HD(32G)が良さそうだ。最新機種ではないが、ビックカメラで一万円以内で買える。キンドルは明日買いに行くとして、今日は本の箱詰めをしよう。