空気通信:切なる願い

私はC++という言語が好きだ。C++でメロビーニョを作るという事は、本来楽しいひとときであるはずだが、今は苦しい。それというのも「謎の支配者」に宝を奪われる可能性がちらつく中で、宝を創り出すべく努力をするのが虚しいのだ。私の家族や友人を不完全ながらもある程度自由に動かせる力をもった者から、宝を守りきる自信が全く無いのである。作品制作への気力を減退させている原因は、怒りや憎しみを抑制する心の仕組みだけでは無いことに気づいた。奪われることへの恐れである。かくして他者に不本意な支配を受けている状態にあると、クリエイティブな能力は著しく低下することに気づく。自由こそが創造力の源なのだということと、安心こそが建設的行為の原動力だということを、両方失ってやっと気づいたのだ。

「被害妄想ではないか?」と常識が現状認識を否定しようとするが、確信は揺ぎ無いままだ。私の見当職は、身近な人々の行動のアクセントと、発言に伴う感情のゆらぎの中に、隠された支配者の影を見出すのである。謎の支配者は私の生活する環境をコントロールし、アメとムチによって私を家畜のように操作しようとしているのだと感じる。正体不明の人物に、回りくどい方法で支配されているという現状は不愉快なものだ。この様な状況にあっては、気持ちよく生活する事など出来ない。鬱々とした日々を送っている。

具体的にはどの様な支配を受け、どう不利益を被っているのか明文化出来ない限り、法による保護は期待出来ない。支配されている状態を、自力で解決出来ない無力感が、私の人生を蝕んでいる。しかしながら、解決して欲しい不満があるのなら、きちんと意思表示しなければ、物事をよりよくするための方向づけは不可能となる。したがって、私はここに私の意志を表示する。

「私を支配しようと望んでいる人物が正体を現し、コミュニケーションをとることでお互いの信頼を構築し、一方的な支配ではなく協調によって望みを実現に導くよう方針を転換する事を切に願っている」と。

怒りにまかせて拳を振り上げ、罪の無い人々を傷つけるよりは、無力をかみしめながら発言する方がましなのだと信じている。

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