空気通信の後身近な世界を観察してみたが、空気的にはやんわりしてきたのを感じた。しかし、私を情報の牢獄に縛り付けている、情報的村八分はまったく解決していない。公の世界では、戦争寸前の緊張状態がそこはかとない恐怖を振りまいている。そういう理由で、私の心の中はぶつけどころのない怒りと恐怖に支配されつつあった。そういった感情の高まりを受けて次の空気通信を準備していると、斜め上から朗報がやってきた。今度のクリスマスに「聖☆おにいさん」の新刊である第6巻が発売されるのだ。その準備もあって、ぷりぷり怒りながら1巻から5巻を読み直してみたら、とてもすっきりした。怒りも恐怖も忘れて笑えたのだった。聖人視点で見れば私の悩みなど取るに足らないことなのだ。だからといって、情報Xの入手を諦めたわけではないが、独りで怒っていても何も解決しないのは確かだ。それはそうと、
「人間は恐れるものよりも愛するものを容赦なく傷つける」
というマキャベリの至言があって、私の心をほろ苦い思い出で容赦なく締め付けてくれるのだが、この至言を心に刻んでもなお、恐れられることよりも愛されることをめざそうという決意は揺るがないものだ。それはなぜだろう。キーワードは「幸せ」だ。誰かを恐れながら生きるよりも、誰かを愛しながら生きる方が圧倒的に幸せなのだ。だから、恐れられる人よりも、愛される人のほうが多くの幸せを世界にもたらすことが出来るのだ。だから人に傷つけられることを恐れて恐怖の鎧を着込むことは、とんでもなく利己的なありようだと思う。理想的なのは善人に愛され、悪人に恐れられるということ。逆であると悲惨だ。また、いうまでもなく愛されることの方も、ほとんどの場合幸せなことだと思う。
で、愛される人は満身創痍になってしまう可能性を多分に秘めているが、そういう人物が持つべき能力とは何かを考えると、以下の様になる。
1.回避力 (自分を傷つけようとする物をよける力)
2.防御力 (受けるダメージを減らす力)
3.耐久力 (ダメージに耐える力)
4.回復力 (ダメージから回復する力)
人に愛される力は、もちろん大切だが、上の4つの力が伴わないと命取りになりかねない。人に愛されたいという、生来の欲求を満たすのも、一筋縄ではゆかないようだ。