投稿者: shaviemon
山の心を宿すための瞑想
取り除けない恐怖など、周囲の状況に心がとらわれて魂の重心がブレて困っていた。これは、最近読み始めたとあるスピリチュアルな本によると「山の心」を宿す瞑想で解決可能なこととのことであった。半信半疑でその瞑想を行ってみたら、けだるさが縮小してやる気が沸いてきた。かつてはノリのいい音楽でやる気を引き出そうとしてしてきたのが、なかなか効果が顕れないでいた。それもそのはず、穴の開いた容器に水を注ぐようなものだったのだ。やる気を減退させている原因は「宝を奪われる事に対する幻想の恐怖」だったから、山の心によって身につく不動心によって、心が恐怖に動じなくなって、やる気が定着するようになったということだろう。こうした心理技術によって、メロビービョの来年中の完成が射程に入ってきた。先人の知恵に感謝したい。
月路閉店
人間不信が肥大し、見えない敵と戦い続けている私にとって、母を食べさせるほどの収入を得ることが、現状では難しいという現実がある。この点は、完成率55%程度に達した「メロビーニョ」を完成させ、それのVEGTORでの販売に今後の人生を賭けるという覚悟をした。これは自画自賛ではあるが、音楽的イノベーションをもたらすツールであると自負している。メロビーニョによって作曲という行為を演奏能力という枷から開放する意義は、大きいはずだ。この、作曲という創造活動を、今までよりももっと生活に浸透させることが出来るはずなのだ。趣味として写真や詩に凝るように自然に曲を作る生活は、豊かなものだ。PCのある家庭ならば、僅か2千円でその作曲ツールの完全版が手に入り、機能限定版ならば無料で使用できる。そういったツールをネットで販売することを、仕事にする。ネットの利用出来る場所なら、日本中どこでも仕事が出来ることになる。ならば、出来るだけ物価の安いところで生活する方がよい。特に、自動車の維持費の大部分を構成する駐車場代の安いところが、今後の生活の拠点としてふさわしい。月路を貸して、その収入で生活する事になるのだ。
いまのところ、福岡県が最大候補地である。物価が安く、文化的であり、親戚や母の友人から近い。とはいえ、まだ決定打となる情報は無い。皆さんの地元や故郷で住みやすいところがあれば推薦していただけると、参考に出来て助かります。
小さな退廃と反省
ここしばらくはゲームにはまり、作品制作に手がつかなかった。そうして、自堕落な生活を続けているうちに、なぜか膝がいたくなった。数年前から膝を痛めていたのだが、ここ数日で目に見えて悪化した。整形外科でレントゲンを撮ってもらうと、膝に少し水がたまっているとのこと。まずい、非常にまずい。この流れは、歩くことに億劫になり、そのせいで運動不足になり、体重が増加してさらに膝への負担が増す。という、負のスパイラルに入ってしまっている。現状から垣間見える歩行能力の喪失という結末に恐怖した。どうなるか判らないが、まだ立て直せる可能性はある。そう思い昨日はプールに行った。少し泳いでみたが、バタ足もカエル足も出来ない状況では水泳は無理。水中歩行に切り替えて無理にならない程度に運動した。血行を良くすることで、膝に溜まった水をちらすことを期待しているのだ。そうこうしているうちに、次なる困難が顕在化した。微熱と咳が1ヶ月近く続いていることだ。これは先日、せきが気になりだしてから大体2週間目の日に病院に行ったのだが、このときは咳止めと風邪薬を処方してもらった。この段階では、風邪対策の処置に納得していた。しかし現状は、カビの胞子などの微粒子が原因のアレルギー性肺炎などがありうるし、最悪の場合は多剤耐性結核の可能性もあり再び恐怖が心をよぎる。今日はかかりつけの病院が休みだったので、金曜日に改めて受診するつもり。微粒子対策に、空気清浄機を購入した。打つべき手は打った、あとは祈るしかない。
画風調整の旅
虚偽について
嘘をつかないで生きてゆけるなら、それは幸せな人生になるだろう。嘘が発覚する恐怖から無縁でいられるからだ。しかし、この基本的原理が、こと大人の世界では意外と知られていない。というより忘れられている。大人になるにつれ「嘘も方便」という御題目のもと、自分の弱さを嘘をつくことで補強したり、人間関係を円滑にするために軽い嘘をつくようなことが増えて行く。そして、嘘をつく経験値が貯まるにつれ、嘘の副作用を回避するテクニックも身に付けてゆく。このテクニックに自信をつけることで、嘘が情報の暗黒面であり、活用方法を誤れば自他を不幸にする危険なものだという意識も薄れてゆくのだ。こういった仕組みが、人々から嘘に対する危機意識を奪ってゆく。その結果、社会には虚偽が蔓延することになる。欺瞞に満ちた社会というのは、個々人同士の有機的連携を虚偽が阻害してしまう非効率性を内包していて、幸福な社会からは程遠いものだ。とはいえ、政治と経済の世界では、洗練を重ねてきた法律によって、権力の行使と取引の過程で欺瞞を排除することが求められる様になった。また、学問の世界でも虚偽を排除すべく日々知識が更新されてゆく。結局、今現在欺瞞が許されているのは、個々人のプライバシーに関る事柄や、法律の網の及ばない細かい情報なのである。それでも、虚偽に苦しめられる被害者がいなくなったわけではない。欺瞞によって歪められた情報が意思決定の自由を奪うことになるし、虚偽の含まれた情報に触れる事は、たとえ何処がどう嘘なのかが分からなくても気持ちが悪いものだ。
とにかく、出来るだけ多くの人に正直に生きることの大切さを知って欲しいと思う。かくいう私もまだ嘘からの卒業を果たしてはいないが、少しでも嘘を減らしてゆくという事ぐらいは出来るのだ。
空気通信・最終回:心の迷宮の出口にて
見守ってくれていたクリッキーにはあやまりたい。この前は怒鳴ってしまってごめん。
空気通信:恐怖の大王の弱点
私が最も恐れている「謎の支配者」とは、実は幻想なのではないか?支配を受けているのは事実だろうが、それは相手側にも恐怖があるために怖い相手を支配をせずにはいられないからだろう。お互いが情報断絶の闇に、己が最も恐れているものの影を投影してしまっていて、ためらいながらも戦いを挑んでいる。これこそ「恐怖の大王」の正体だろう。それは、特定の人物などではなく、人と人の間や国と国の間に発生した情報断絶に浮かび上がる自然現象のようなもの「幻想の恐怖」なのだ。恐怖の大王を倒すには、どの様な武器も知略も用をなさない。最も恐れている存在の影から襲い来る恐怖に耐え、闇の先にある同胞との対話を開始する勇気こそが必要なのだ。そして、コミュニケーションによって情報断絶を打ち消すことで、恐怖の大王を消滅させることが出来るのだ。これが、我々の前に立ちはだかるラスボスを倒す唯一の方策である。
この事を悟っても、恐怖は消えていない。心の内側が変化して、大切な事に気づきはした。しかし、現実の状況を変えることが出来るのかどうか不安でしかたがない。全てが私の妄想でしかないかもしれないという、恐ろしいイメージが襲ってくる。とにかく、目前の情報断絶の先に送るメッセージを紡がなければならない。受け取る者の恐怖を軽減するようなメッセージを。メッセージは以下の2つだ。
「私はここに宣言する。情報牢獄に関った全ての関係者の法的責任を問わないことを。」
「そのかわり、私を情報牢獄から解放してほしい。そうすれば私は苦しみを忘れられ、お互いに全てを笑い話に変換できるだろう。」
この想いよ届け!
空気通信:さらば幻想の恐怖
現状についての推測がある程度形をなした後も、恐怖が無くなったわけではない。あらゆる可能性が残っていて、恐ろしいものも消えていないのだ。しかしここで、天啓が降りた。
「見えない敵と戦っているのは私だけではない」
人々もまた情報断絶の反対側で幻想の恐怖と戦っていたのだ!
この天啓によって恐怖が薄らいだ。そうする事で視野がさらにひらけた。情報断絶を埋めるための思考を進める。今まで、あまりにも恐ろしいために思考から排除していた可能性がある。それは、私が日本の天皇家か、もしくは沖縄の琉球王家の血を引いているという可能性である。小心な小市民である私には、宮廷闘争など恐ろしくてしかたがない。中国の古典を読むことによって、宮廷闘争の恐ろしさが骨身にしみているのだ。そして、現在の環境として家族と友人が謎の存在に篭絡されているという状況である。古代中国であれば、墓に片足を突っ込んでいるようなものだ。もしも、この可能性が現実のものならば、私が論理の牢獄に閉じ込められている理由を理解することが出来る。それは、クーデターに対する恐怖である。私にしてみれば、ばかばかしい事である。私は日本という国が好きだ。隆盛を迎えた文化は、この国が平和国家であり、国民が自由を謳歌していることを表している。倒すべき悪などでは有り得ない。
私はこの国の革命を企図しているのではない。私を長年悩ませてきたものは以下のようなものだ。
「自らの身を守るために暴力と謀略にたよりすぎ、対話と協調をおろそかにしている人類の現在の有り様こそ革新すべき悪なのだ」
そして、幻想の恐怖と正対することで悟った。
「個人間、国家間の幻想の恐怖を乗り越える事こそ、平和へ至る本当の道なのだ」
クリッキー!これでいいかい?
空気通信:死の恐怖
病院で先生に受けたアドバイスに従い、摂取する薬の量をふやした。そうする事で、ここ数日暴れまわっていた「死の恐怖」がやわらいだ。そして、恐怖によって起こっていた視野狭窄から開放されたためか、状況判断に変化が現れた。腐敗しているのは日本政府ではなく、日本のマスメディアなのだと。これは、以前から薄々考えていたことだが、家族や友人を支配する力が強大すぎることから、有力視してこなかった。しかし、実際は国家権力以外の方法で人を自由に動かす方策があるのだろう。例えば弱みを握るなどだ。
死の恐怖から逃れるために死を選ぶという、矛盾した行動を人間がとることがある。最終的に、私にそういった矛盾した行動をとらせ、このコミカルな死を笑い飛ばそうという意図を感じる。笑いのために人間の絶望や死まで利用するという、品性の下劣さ邪悪さを思うと吐き気がする。たとえ、自殺を選択しなかったとしても、強く身に迫る恐怖、とくに「死の恐怖」を抱えることで性的に堕落するよう仕向けているのだ。遺伝子のしくみによって、死の恐怖を感じる事が性欲の増大をもたらすものなのだ。下劣であるその者と同レベルまで、私を堕落させようとしているのではなかろうか。なぜそうなのか分からないが、品性の優劣が戦いの趨勢に影響するという感覚がある。いままで私に決定打を与えられず、間接的で陰険な支配の手を伸ばすにとどめていた理由が、そこにあるのかもしれない。自分が童貞である事に今は感謝している。
一般の人々には、私の感じている恐怖がどの様なものなのか理解出来ないだろう。恐怖とは、それを感じている人間の姿を見ることでは伝わらないのだ。状況を理解して初めて思いやることのできる類の感情なのだ。どうということのない環境に見えるなか、どれだけ恐怖の言葉を発しても、「大げさなことだ」と考えられ問題視されない。それどころか、当人の苦痛に比例して見かけが滑稽になるのである。そのことを、けれん味あふれる人物に利用されたのだろう。これが、情報断絶のしくみの一部である。
外からは分からない恐怖について説明する。まず、私に関する情報が人々の中に伝わっていること。これは「サトラレ」や「トゥルーマンショー」になった気分をもたらす。自分の情報が意図せず他人に伝わってしまうことは苦痛であり、その理由が分からないことは恐怖となる(そして恐怖だけは他人に伝わらない)。次に、家族や友人全てが何者かに篭絡され(もしくは入れ替わり)私を操作する様な言動をしはじめる。これは「ボディ・スナッチャー」などのホラー映画で擬似体験できる。こういった現象を現実に体験する事は映画など足元にも及ばない恐怖なのだ。最後に、私がミュータントである事。支配しきれない実験動物として始末されるというヴィジョンが想起される。
私をこの情報牢獄から脱出させる手助けをしてほしい、そのためにはたった2つの情報があればいい。
・どの様にして、私に関する情報が人々の間に拡散したのか
・その事実がなぜ、私に知らされなかったのか
ネットが抑圧のためのツールなのか、解放のためのツールなのか、真価が問われている。これを見た人で、上記の情報をご存知の方がいたら、私に知らせて欲しい。