虚偽について

嘘をつかないで生きてゆけるなら、それは幸せな人生になるだろう。嘘が発覚する恐怖から無縁でいられるからだ。しかし、この基本的原理が、こと大人の世界では意外と知られていない。というより忘れられている。大人になるにつれ「嘘も方便」という御題目のもと、自分の弱さを嘘をつくことで補強したり、人間関係を円滑にするために軽い嘘をつくようなことが増えて行く。そして、嘘をつく経験値が貯まるにつれ、嘘の副作用を回避するテクニックも身に付けてゆく。このテクニックに自信をつけることで、嘘が情報の暗黒面であり、活用方法を誤れば自他を不幸にする危険なものだという意識も薄れてゆくのだ。こういった仕組みが、人々から嘘に対する危機意識を奪ってゆく。その結果、社会には虚偽が蔓延することになる。欺瞞に満ちた社会というのは、個々人同士の有機的連携を虚偽が阻害してしまう非効率性を内包していて、幸福な社会からは程遠いものだ。とはいえ、政治と経済の世界では、洗練を重ねてきた法律によって、権力の行使と取引の過程で欺瞞を排除することが求められる様になった。また、学問の世界でも虚偽を排除すべく日々知識が更新されてゆく。結局、今現在欺瞞が許されているのは、個々人のプライバシーに関る事柄や、法律の網の及ばない細かい情報なのである。それでも、虚偽に苦しめられる被害者がいなくなったわけではない。欺瞞によって歪められた情報が意思決定の自由を奪うことになるし、虚偽の含まれた情報に触れる事は、たとえ何処がどう嘘なのかが分からなくても気持ちが悪いものだ。

とにかく、出来るだけ多くの人に正直に生きることの大切さを知って欲しいと思う。かくいう私もまだ嘘からの卒業を果たしてはいないが、少しでも嘘を減らしてゆくという事ぐらいは出来るのだ。

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