山の心を宿すための瞑想

取り除けない恐怖など、周囲の状況に心がとらわれて魂の重心がブレて困っていた。これは、最近読み始めたとあるスピリチュアルな本によると「山の心」を宿す瞑想で解決可能なこととのことであった。半信半疑でその瞑想を行ってみたら、けだるさが縮小してやる気が沸いてきた。かつてはノリのいい音楽でやる気を引き出そうとしてしてきたのが、なかなか効果が顕れないでいた。それもそのはず、穴の開いた容器に水を注ぐようなものだったのだ。やる気を減退させている原因は「宝を奪われる事に対する幻想の恐怖」だったから、山の心によって身につく不動心によって、心が恐怖に動じなくなって、やる気が定着するようになったということだろう。こうした心理技術によって、メロビービョの来年中の完成が射程に入ってきた。先人の知恵に感謝したい。

月路閉店

 母が隠居するよう、じわじわと説得してきたのが、この前やっと「月路」を閉店する準備を許可してもらった。いつもは、「章が私を食わせていけないから、店をやめられない」と怒られるところだが、今回は運よく一歩前に進むことができた。それだけ、母の足の具合が悪くなってきているということでもあるかもしれない。ここしばらく、店に出るとき以外は、家に閉じこもり海外ドラマと時代劇を視聴する事を楽しみに生きている様だ。自家用車を廃車してから、自分から思い立って出かけるということが殆どなくなっているのだ。母は車の運転が大好きで、独りで仙台や横浜などによく出かけていた事を思い出す。私より運転が上手なのだ。
人間不信が肥大し、見えない敵と戦い続けている私にとって、母を食べさせるほどの収入を得ることが、現状では難しいという現実がある。この点は、完成率55%程度に達した「メロビーニョ」を完成させ、それのVEGTORでの販売に今後の人生を賭けるという覚悟をした。これは自画自賛ではあるが、音楽的イノベーションをもたらすツールであると自負している。メロビーニョによって作曲という行為を演奏能力という枷から開放する意義は、大きいはずだ。この、作曲という創造活動を、今までよりももっと生活に浸透させることが出来るはずなのだ。趣味として写真や詩に凝るように自然に曲を作る生活は、豊かなものだ。PCのある家庭ならば、僅か2千円でその作曲ツールの完全版が手に入り、機能限定版ならば無料で使用できる。そういったツールをネットで販売することを、仕事にする。ネットの利用出来る場所なら、日本中どこでも仕事が出来ることになる。ならば、出来るだけ物価の安いところで生活する方がよい。特に、自動車の維持費の大部分を構成する駐車場代の安いところが、今後の生活の拠点としてふさわしい。月路を貸して、その収入で生活する事になるのだ。
いまのところ、福岡県が最大候補地である。物価が安く、文化的であり、親戚や母の友人から近い。とはいえ、まだ決定打となる情報は無い。皆さんの地元や故郷で住みやすいところがあれば推薦していただけると、参考に出来て助かります。

超未来志向

仕事が始まってからも、たまぁに月路に通って作品制作をする事がある。そこでは、増改築を繰り返して若干迷宮化しているメロビーニョと対面することとなる。そして、そんな作品の更なる増改築に切り込むための勇気を、音楽からもらっている。こういう、音楽を創るためのツールを作るために、音楽の力が欠かせないという、鶏と卵の連鎖の様な状態は興味深い。かつて石器時代から文明が進化するにあたって、素朴な道具をつかって素材を削り、そうやって出来たちょっと良い道具でさらに良い道具を作るという連鎖が繰り返された結果、人間は宇宙に行けるほどの道具を作りあげた。そういうことを思い起こさずにはいられない。そして、宇宙を生活の場にするという、超えられそうで超えられない進化のラインを、明るくて楽しいほうへに押そうという人生のテーマがここにある。

人類と科学の犯した若気の至りをあげつらって、人類と科学を断罪するという未来は既に、過去のものになったのではないか?人類は悔恨を乗り越えたのだと信じたい。そして、日本人はウツ経済を乗り越えて、ソウ経済へと至りつつあるのだと感じている。

魂とモチベーション

最近、スピリチュアルなHPや本を読み漁っている。精神的にモチベーションが低下したために、長い間作品制作が停滞してしまって、対応策をひねり出す必要に迫られたのが理由である。最初はモチベーションを高めるコツを書いた本などを読んでいたが、実践してみるとそれだけでは不十分だった。魂の底から湧き上がる活力を得られれば理想的である。そのために、魂という非科学的な存在に関する知識を求めることとなった。しかし、私には霊感が全くないので、肉体を持たない魂が浮遊している様を見ることが出来ない。こういった目に見えない存在に関する知識は、真偽の見極めが難しい。まぁ、目的がモチベーションの向上なので、魂の知識からくる向上方法を実践してみて、実際にやる気が出るかどうかを検証すればいい。ぶっちゃけ、魂の知識が間違っていても、モチベーションさえ上げてくれれば文句は無いのだ。

少し読んでみたところによると「魂が喜ぶ生き方をすると、問題も自ずと解決してゆく」ということらしい。どの様にして魂を喜ばせるのかというと、食べたい物を食べるとか、好きな音楽を聴くとかいった欲望充足が大切で、さらに魂の倫理観に反しない行動を心がける事も重要らしい。後ろめたい想いが生じると、魂が萎縮してしまうので、倫理観は特に重要のようだ。あとは、規則正しい生活リズムだとか、適度な運動とか、整理整頓などといった精神的肉体的に健康な生活も魂が喜ぶらしい。

魂を喜ばせる生活の実践をする。先週までは朝に月路に歩いて行き、月路で作品制作を進め、昼には家に帰り家で昼食をとり、午後は家で作品制作に取り掛かるというリズムであった。これは健康的ではあったが、モチベーションは低いままだった。特に家での作品制作が進まない。このゲームやマンガに囲まれた環境では、気が散ってしかたがなかったのだ。そこで、昼食を池袋で外食することにして、午後も月路で作業する様に変更してみたらモチベーションが向上した。増改築を繰り返した結果汚く複雑化してしまったメロビーニョの、更なる増改築に切り込むためには高い精神的な障壁があったのだが、軽く越えられた。

といった手応えをつかんだところだが、製作資金が尽きてしまっている。そのために仕事を探している。仕事が見つかったら作品制作を中断しなければならないが、その次の制作フェーズでは好スタートを切れるだろう。

メロビーニョは怖くない

とある友人からのメッセージを読んで思った。メロビーニョの完成で不幸になるような人はいるのだろうか?と、もし、そのような人がいるのなら、メロビーニョは恐怖の対象にちがいない。そして、恐怖を感じているのが権力者であったり、豊富な人脈をもつ人物だったとしたら、メロビーニョの完成を阻止すべく動くにちがいない。と、誇大妄想の深遠を垣間見ることしきりの今日この頃。しかし、全くないとはいえないその恐怖を取り除く必要はある。

まず、メロビーニョの完成によって楽器演奏の熟練者が不要になるのでは?という誤解に基づく恐怖について考える。メロビーニョによって作曲というプロセスに必要だった楽器演奏能力という前提条件が不要になる。だからといって、誰でもがメロビーニョを使いこなせるわけではない。やはり、音楽的素養のある人物でないとメロビーニョを深く使いこなすことは出来ない。とりあえず使い方を覚えて、作曲の基礎をマスターしてしまえば、曲を創り出すことはできる。しかし、人の心に響くものが出来るかどうかは、音楽的センスと作曲技術に左右されるだろう。そして、音楽的センスと作曲技術は、楽器演奏の熟練の過程でも高められるものである。つまり、楽器演奏の熟練者はメロビーニョを使いこなすという面でも、一歩先んじているのだ。

次に、メロビーニョによって作られた楽曲が、そうでない楽曲を売上シェア争いで駆逐してしまうのでは?という誤解に基づく恐怖について考える。メロビーニョの作曲サポート機能を活用すれば、斬新な切り口の転調やコード進行の曲を創り出せる。とはいえ、伝統的音楽や各時代の流行曲などが霞んでしまうほどの名曲が綺羅星のごとく誕生するのかどうかは疑問である。たしかにメロビーニョによって音楽の幅は広がり、いままでになかった口当たりの曲は作れるだろう。しかしながら、それは新しいジャンルとして、音楽市場を拡大することはあっても、伝統と流行による楽曲の価値を失わせるほどのものではない。

最後に、メロビーニョが安価で売り出されたら、他のミュージックツールがシェアを奪われるのではないか?という誤解に基づく恐怖について考える。メロビーニョの試用版は無料で、完全版は2千~3千円で公開しようと考えている。たしかに、他のミュージックツールに比べると安い。しかし、致命的なことに、メロビーニョにはDAWとしてのオーディオ編集機能が全く無い。つまり、直接にはボーカロイドやアナログシンセエミュレーターなどと接続できないのだ。これらの機能を利用するためにはDAWの機能を持ったミュージックツールを利用する必要がある(メロビーニョからDAWへは標準MIDIファイル出力機能で楽曲を転送出来る)。つまり、メロビーニョが売れればDAWの需要も増えることになる。

以上のことから、メロビーニョによって不幸になる人間の数はほぼ0に近いと考えている。

心の闇との会話

闇:「何年もかけて作った作品だろうと、売れないものは売れないのだ、このまま見返りのない作業など続けていても損をするだけだろう?」

私:「たしかに、作品が売れなければ残念な気持ちになるだろう。そして、作品制作を本職にしたいという願望は砕け散るかもしれない。けれど、作品制作の本当の目的は金儲けではなかったはずだ。メロビーニョは楽器の弾けない自分が作曲をするために、必要不可欠なツールなのだ。そして、音楽的に同じような境遇の人物にとっても不可欠なツールたりうる。だからこそ衆目の届く場所で、しっかりと告知出来れば、いくらかは売れるはずなのだ。そして、メロビーニョを求める人物の抱く音楽的創造への渇望を癒す事は、数の多少を問わず有益なことだと思う。」

闇:「ヒットしない事は解っているようだな。というより、身近でない場所でひそかにヒットしたとしても、情報牢獄の仕組みがそれをもみ消しかねない、と考えているな。結局報われないではないか。」

私:「音楽的創造への渇望は自分の中にもみなぎっている。それを癒すだけでも、十分報われていると思う。そして、音楽的創造活動を再開できれば、自分の作る作品の幅が広がり更なる収入源の開拓につながる。メロビーニョが最後の作品というわけではないのだ。また、情報牢獄が収入への道を閉ざす可能性はたしかに看過できない。だからこそ、脱出のために情報牢獄の看守を文化的に魅了する表現力を高めなければならないのだ。メロビーニョは武器だ。人を殺すのではなく、人を幸せにする武器だ。」

闇:「時勢がら音楽方面に収入を求めるのは愚かなことだろう?音楽市場は縮小の一途をたどっているぞ。」

私:「縮小しているということは、音楽市場がゼロサムゲームではない証拠。市場に新たな価値を提供できれば縮小を拡大に転じさせることも出来るはずだ。メロビーニョによって、新天地を切り開くことだって不可能ではない。演奏能力に依存する現在の音楽から、演奏能力に依存しない音楽という新境地へ至る事が出来るはずなのだ。たとえ自分にそれが出来なかったとしても、メロビーニョを使いこなすことで才能を開花させた誰かがそれをやってのけるかもしれない。」

闇:「お前のような楽天的な人間は脅かし甲斐がないな、とはいえお前の本心が失敗を恐れていることは解っている。私がこうやってお前に問うのも、恐怖を乗り越えたいからに他ならない。私はお前なのだ。」