やる気が低下してくると、やる気と対になって存在している万能感も薄れて、人生の目標の実現可能性が疑わしくなってくる。そして、気力が充実している時には順風満帆かと思われた人生航路の実情が、逆風や凪の道のりに思えてくる。そこで、そういう甘くない人生航路を切り抜けるために、風読み潮読みの知覚力が必要になってくるのだ。そんな時に、自分の知覚能力の足かせとなっている情報牢獄に対する怨嗟の念が心に広がってゆくことになる。
この苦しい心の状態を、そのまま放置すれば、テロリストか自殺者が地球上に1人増えることになるだろう。そうなってしまえば、世界の総幸福量を低下させる様な事にしかならない。幸い心の自然のメカニズムが、怒りのパワーを無気力化によってそぎ、他人や自分に命にかかわるほどの暴力を振るいかねないエネルギーをアースしてくれる。そのおかげで、精神の専門家に相談する余裕がうまれ、化学的に心を沈静化する手段を与えてくれることになる。ただし、精神の専門家に過度の期待をするのは禁物である。保険の適用される範囲の医療レベルでは、定期的なカウンセリングと化学的対処が限界であり、根本的な解決は自分の力で行わなければならないのだ。
とはいえ、病院で処方される精神安定剤は決して無力ではない。陰謀説にとらわれありとあらゆるものを疑わずにはいられないほどの暗い精神状態を、軽い放心状態まで引き揚げてくれる。まぁ、作品制作のためのやる気をもたらすほどではないのが、かつては不満だった。この辺は、いろいろ試行錯誤した結果、薬品ではなく音楽や物語などの文化的産物が担当すべき領域だということが解っている。話は戻るが、精神安定剤をもってしても無力化出来ない強い怒りというものもあった。これは、その怒りのたけを文章に書いて、SNSの日記として公開するという行動で解消することが出来た。多分文章に限らず、表現するという行為が心のバランスをもたらしてくれるものなのだ。そして、SNSのおかげでレスポンスまで得られる。自分の置かれている状況が完全な孤独というわけではないことが判って、あたたかいものが心のなかに生まれるのだ。
日記を読んでくれる皆様には感謝を。レスポンスをくれる友人には更なる感謝を。