空気通信:ノーホープ殿へ

我が親愛なる敵「ノーホープ」よ聞いてほしい。我々の利害の対立を調整できず、憎しみのみを増大させている現状を作り出している諸悪の根源がなにか、考えてみた。結論は難しくない。それはコミュニケーション禁止の原則を我々に課している存在ではないか。それは、貴殿の方針や戦略の一項かもしれず。また、より現実的には貴殿の上司にあたる存在なのかもしれない。我々が真に倒すべき敵とは、我々のどちらでもなく、我々の間のコミュニケーションを禁じている存在なのだ。対話が不可能であるからこそ、利害の対立を解消することも出来ず、ずるずると不毛な戦いを続けざるをえないのだ。私を動かしたいのならば、支配によってではなく説得によって成果を出すべきだ。情報操作による支配は人間の自由な意思の尊さを踏みにじる邪悪な行為であり、そういううすら暗い行為を続けていると、心が蝕まれ不幸になるだろう。勘違いしないで欲しいのは、私は貴殿の品性を問題にしているのではない。貴殿が下劣であっても構わない。ただ、邪悪でさえなければ協調は可能だ。

我々の間の価値観の違いが深い谷のように我々を隔てているが、その事をコミュニケーション禁止の理由にするのはおかしい。価値観が違うからこそ、貴殿にとって不要なものの中から私が欲する物を見出すことがありうるし、私にとって不要なものの中から貴殿が欲する物を見出されることもあるだろう。我々はマブダチにはなれないかもしれないが、最高の交易相手にはなれるのだ。また、近寄れば気に食わない相手でも、距離をとれば平気でコミュニケーションを取れるものだ。幸いにして、現代の通信技術をもってすれば、遠距離(物理的距離だけでなく心理的距離も含む)でのコミュニケーションも円滑に行える。例えば貴殿は、一時的なメールアドレスを入手する事で、限りなく匿名に近いメールを私に送ることが出来る。重要なのは、対話することであって、正体を明かすことではないのだから。以下に私のメールアドレスを記す。連絡求む。ただし、毎日メールチェックしているわけではないので、返事は少し遅れるかもしれないことを、あらかじめことわっておく。

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最後に重要なことを繰り返す。コミュニケーション禁止の原則を打ち破ろう。私もそのためならば協力を惜しまないつもりだ。

 

空気通信:勝利について

先日、みらえもん氏から「君は絶対に勝利出来ないだろう」という心をえぐる一言をいただいてから、私の心象風景は敗戦色で深く沈んだ。しかし、そういうさなか、ふと購入した「幻想水滸伝5のサウンドトラック」の希望に満ちた数曲を聴くうちに、一つの希望に巡り着いた。「勝利の形は万人共通ではない」という真理だ。勝利とは他者を打ちすえ、滅ぼしたり支配したりするというものばかりではない。たとえば、真理に根差した言葉で相手の心を打つことも一つの勝利だ。また、自分を支配しようと企む他者の魂を、文化の力で染め上げる、という形もあるだろう。真理に根差した言葉は世界を変えることも出来ると、ブッダも言っていたはずだし、文化の力は某アニメで「ヤックデカルチャー」という驚嘆の言葉をもって受け止められたものだ。

私は、目下の敵のことを「ノーホープ」と呼んでいるが、これは、そいつが私を支配するために繰り出す手練手管から、そこはかとない厭世感を感じ取れるからだ。また、ノーホープは高い知性の持ち主であり、品性は下劣であることが判っている。情報の歪め方に品がないのだ。そして、情報操作をもってすれば何びとも支配出来ると思い上がっている。そのために、手始めに私を支配しようとしているのだが、直接コミュニケーションをとる事を避けているようだ。これさえ無ければ、私もわざわざ敵を作って、建設的でない思考や活動をしいられるマネは避けられるものだ。本当に残念でならない。ノーホープは協調の道を自ら閉ざしているのだ。

コミュニケーションが不可能で、正体も不明である存在に対する勝利とは、どんなものであろうか。まず、相手を打ちすえ支配する事ではありえない。なぜなら、振り上げた拳を打ちおろす先がわからないのだから。さればこそ、心打つ言葉と、魂を染める文化が物を言う。ノーホープに向けて言葉と文化を発信する事は可能な様だからだ。

当面の目標は定まった。言葉の力を高めるために真理を追究する事と、文化の結晶であるコンテンツの制作能力を高める事だ。これらは、私の戦いにとって有用なもので、かつ建設的な有りようでもある。ただし、虚と実の間で生きているノーホープの心の目は、私の言葉の中の真理を見つけられないほど濁っているかもしれない。また、厭世感溢れる魂は、楽しく美しい文化の産物を素直にあじわう事を許さないかもしれない。こればかりは、時間をかけて清らかな心を取り戻し、明日への希望を魂の中に育む様に誘導してゆくしかないだろう。自信は無いが、そういった力の源は、言葉と文化の中にあることは知っている。

 

若干空気通信:マキャベリの至言

空気通信の後身近な世界を観察してみたが、空気的にはやんわりしてきたのを感じた。しかし、私を情報の牢獄に縛り付けている、情報的村八分はまったく解決していない。公の世界では、戦争寸前の緊張状態がそこはかとない恐怖を振りまいている。そういう理由で、私の心の中はぶつけどころのない怒りと恐怖に支配されつつあった。そういった感情の高まりを受けて次の空気通信を準備していると、斜め上から朗報がやってきた。今度のクリスマスに「聖☆おにいさん」の新刊である第6巻が発売されるのだ。その準備もあって、ぷりぷり怒りながら1巻から5巻を読み直してみたら、とてもすっきりした。怒りも恐怖も忘れて笑えたのだった。聖人視点で見れば私の悩みなど取るに足らないことなのだ。だからといって、情報Xの入手を諦めたわけではないが、独りで怒っていても何も解決しないのは確かだ。それはそうと、

「人間は恐れるものよりも愛するものを容赦なく傷つける」

というマキャベリの至言があって、私の心をほろ苦い思い出で容赦なく締め付けてくれるのだが、この至言を心に刻んでもなお、恐れられることよりも愛されることをめざそうという決意は揺るがないものだ。それはなぜだろう。キーワードは「幸せ」だ。誰かを恐れながら生きるよりも、誰かを愛しながら生きる方が圧倒的に幸せなのだ。だから、恐れられる人よりも、愛される人のほうが多くの幸せを世界にもたらすことが出来るのだ。だから人に傷つけられることを恐れて恐怖の鎧を着込むことは、とんでもなく利己的なありようだと思う。理想的なのは善人に愛され、悪人に恐れられるということ。逆であると悲惨だ。また、いうまでもなく愛されることの方も、ほとんどの場合幸せなことだと思う。

で、愛される人は満身創痍になってしまう可能性を多分に秘めているが、そういう人物が持つべき能力とは何かを考えると、以下の様になる。

1.回避力 (自分を傷つけようとする物をよける力)
2.防御力 (受けるダメージを減らす力)
3.耐久力 (ダメージに耐える力)
4.回復力 (ダメージから回復する力)

人に愛される力は、もちろん大切だが、上の4つの力が伴わないと命取りになりかねない。人に愛されたいという、生来の欲求を満たすのも、一筋縄ではゆかないようだ。

空気通信:ミラージュ

自分と世界の間にある暗くて深い溝について、考察してみる。まっとうな仕事に就いて人と会う機会が増えたので、考える材料が増えたから。

欲しい情報は手の届きそうなところに常にあるにもかかわらず、決して自分から触れることは出来ないというもどかしさは今も消えない。だから、想像力を総動員してブラックボックスならぬブラックワールドを評価するしかないのだ。

かつて得た、「自分が複数の世界と関わっている」という感覚は、他者とのコミュニケーション時に受け取る情動情報が、自分がいつも表現している「凡庸な自分」というパーソナリティと矛盾するところから始まった。そして、その情動の偏向の方向性が相手によって違うようだった。そこで、偏向の無い「日常」と偏向のある「非日常」という2つの世界を想像した。そして、非日常がどこからくるのかが分からず、自分の心の中に湧き出してくる不気味な想像の奔流によって精神を磨り減らす日々を送ることになる。もしもこの状況が何者かの意図によって作り出されたものならば、私がどれほどの苦痛を味わい続けているのか、その者にはよく理解して欲しいものである。悪意をもってそれを為しているのならば悔い改めるべきだ。

それはともかく、非日常は自分の提示したペルソナと対話相手が返してくるレスポンスの間の矛盾によって感じられるのだが、まるで私の周りに様々な蜃気楼が見えているという想像が最も強い。よってその現象をミラージュと呼ぶことにする。以下にミラージュの種類を分類してみた。

1.王族のミラージュ
見る者の心に畏敬の念を生じさせる高貴なイメージ。
2.犯罪者のミラージュ
見る者の心に恐怖と怒りを生じさせるあくどいイメージ。
3.天才のミラージュ
良く思えば頼もしいイメージ。悪く思えば狡猾なイメージ。
4.白痴のミラージュ
良く思えば純粋なイメージ。悪く思えば愚鈍なイメージ。

これらはどれも私の自己認識や自己表現とはかけ離れている。これらのミラージュがどの様なメカニズムで発生しているのかぜひ知りたいものだ。

空気通信:闇の思考を離れ夢へ

自分のなかにある羞恥心と恐怖に打ち勝って、なんとか開始出来た空気通信ですが、情報の発信は出来たものの、受信のほうはいま一つ自信がありません。しかしながら、何一つ受け取らなかったわけではありません。出自がどうあれ高貴に見られるというのは悪い気がしないという事を感じました。対立の絶壁を離れ友情の浜辺へ辿りつくために、空気通信を続けようと思います。
自己認識の齟齬を解消するためには情報Xが必要不可欠という事に変わりはありませんが、心の活力を取り戻すために情報Xが必要という考えを改めました。それは、心の活力を失わせる原因の一つである「統合失調症」が、情報X秘匿のために行われた情報操作によって感覚と論理の矛盾に長期間さらされたために生じた、という推測にもとづくものでした。今後この論理に重きを置かないようにするつもりです。その思考は自分の無気力を正当化してくれるものの、情報Xの秘匿者に対する憎しみを生み出し育てる闇の思考であることに気付いたからです。今後、心の活力を増進するために情報Xを求めるのではなく、対人恐怖やコミュニケーションに伴う不快感を減じるために求めることになります。活力のほうは、潜在意識に関する本から学ぶことで増進してゆこうと考えています。
以前の空気通信で得た可能性「恐れによる秘匿」が、感覚的にも現実感を伴っています。この場合に対する意思表示をより詳しく、掘り下げてみます。そのひとつは先ほど書いた「統合失調症」の原因説から私の心を引き離す宣言に含まれています。もうひとつは、怒りに勝る喜びを私にもたらせるかもしれないということです。多くの人間をまきこんで情報操作を完遂するために必要であったろう統率力は、私にとって恐怖の対象であるだけでなく、尊敬に値するものであります。もしもその強大な力が私の夢の実現に協力してくれたならどれほど心強いものでしょうか。ここに、私が描いている夢を再確認してみようとおもいます。

前提:人類の宇宙進出によって、地球の生みの苦しみが報われる
長期目標:その宇宙進出を助けるために音と光の力を駆使して人類を鼓舞する
短期目標:力のある音「音楽」を生み出すためにミュージックツール「メロビーニョ」を完成させる

以上が現在私が抱いている夢です。これに協力してもらえるのなら、私は怒りを乗り越えることが出来るかもしれません。夢を実現させる事は大抵の怒りを打ち消すほどの喜びに成り得ます。

空気通信:新たな試み

正体不明の存在とコミュニケーションをとるためには、こちらの精一杯の表現がなかなか通じない事に対する忍耐力と、相手側のよこす難解な表現を補う想像力が不可欠である。人類が滅ぶことなく文明を未来へつないでゆけるのならば、未知の存在との遭遇は必ず起こるだろうということを考えるならば、コミュニケーション能力の鍛練は有意義である。それは、今現在未知の知性が地球を訪問しているかどうかとは、それほど関係ない。未知の知性は、なにも宇宙からやってくるものばかりとは限らないのだから。たとえば、イルカやクジラといった存在は既知であるが知性体としては未知の部分の多い生命だったり、長い時のなかで新たに進化した人類以外の知的生命であるかもしれない。
壮大かつ迂遠な意味づけは置いておくとして、私個人がなぜ、正体不明の存在とのコミュニケーションを重視しなけらばならないのかというと、私の自己認識に齟齬を生じさせている情報の停滞もしくは隠ぺいの存在は、未知のベールに包まれており、その存在との意思疎通が難しいからだ。そして、私が自己認識の整合性を回復させて、心の活力を取り戻すためには、どうしてもその存在と意志を通わせなければならない。ここで一つ問題となるのは、その正体不明の存在の実在が確かではないことだ。私に与えられた論理的情報からは、実在を証明することが出来ない。しかし、長年感じ続けてきた違和感を含む感覚によれば、それは実在すると感じる。個人なのか、集団なのかは分からないが。そのために、常識的に客観視すれば「空気との会話」とも見てとれるこの試みは、私にとっては運命を切り開くための重要な活動なのである。観客として成り行きを見守りたい方には、現代のシャーマニズムとでも思っていただければよい。また、こういった文章が不愉快に感じられる方には、タイトルで判るように、表題に「空気通信」という文字を付加するつもりである。
さて、まづ自分の欲する情報を情報Xと仮に命名する。なぜ私は自分にとって重要である情報Xを手にいれることが出来ないのであろうか?今、想像してみたところによると、それは、「力ある情報」なのではなかろうか。というのも、情報Xの活用の仕方次第でだれかを幸福にも不幸にも出来るものなのではなかろうか、ということである。この考えによると、私は情報Xの持ち主に信用されていないのではないかということが想像出来る。情報Xの持ち主は、私が情報Xを活用して誰かに被害を与える可能性を憂慮していると想像した。この想像に至った事は私にとって大きな前進であった。いままでは、情報Xを手に入れるには、命と引き換えにしなければならないような、巨大な陰謀が関わっているという恐ろしい想像に震えていたのだから。私の生命を守るために、情報Xから遠ざけられているという想像から、私が信用されていないために、情報Xから遠ざけられているという想像が派生した。おかげで、不安は無くなりはしないものの、大きく軽減された。
情報Xを持っている存在にアピールしたい。私は獰猛な獣ではないし、人を不幸に陥れて喜びを感じるような悪魔でもないということを。