少数の人間を犠牲にすることで、大多数の人間の幸福を手に入れる。そのような交換が私の身の回りで行われている。そして、虐げられる少数の人間の側に自分が属していると感じている。これが私の心の中心で焼けただれているマグマの正体である。ひとたび噴火すれば、自分の身の回りを焼野原に変えてしまいかねない危険地帯である。こういった状況で大切なのは、噴火を防ぎつつ怒りの原因をすこしずつでも消化してゆくことだろう。ここ最近のスピリチュアルな学びから得た思考方法を実践するならば、正論を振りかざして相手の非を糾弾し続けることよりも、自分の非やありようの不足に目を向けるべきだということがわかってきた。
謎の支配者との間の非難の応酬のなかで、すこしずつ輪郭を現してきたものの、恐ろしさゆえ心の奥に封印していた思考がある。性的に奔放な謎の女性から長年にわたってラブアタックを仕掛けられているという状況判断である。非モテである自分が女性から愛されるのはなかなかにレアな事態であり、喜ぶべきことのうちに数えられるものであるが、問題はその属性にある。謎の支配者と思しき女性は、貞操観念に乏しい小悪魔系であると手練手管を見ていて感じられるのだ。そして、強大な支配力を示すことで、神のように君臨したいと考えているようなのである。まず貞操観念の乏しい相手を愛することは、泥沼への片道切符であると考えているし、支配力を見せつけられると私は反骨精神を刺激されて反発してしまう。とにかく、謎の支配者との属性による相性がとことん悪いのだ。
相性の悪さを解決するために、謎の支配者が繰り出してくる策略によって、私を貞操観念の乏しい男に変えようとしているのがわかる。たしかにその様に変われば相性はよくなるだろう。しかし、そのために、私の数少ない長所の一つを捨てなければならないのは許容の範囲を逸脱している。我々の間の緊張関係を緩和するためには。自分を変えなければならないことは理解できるが、そのために堕落しなければならないというのは受け入れられない。私が重視する価値は支配でなく調和であり、欺瞞でなく誠実である。そして、結ぶべき絆の形は主従関係でなくコミュニケーションの充実した同胞である。これらは、何よりも大切なものであり、これを手放せば私は私でなくなってしまう。
この様に、属性による相性は最悪である。これまでに莫大な投資を私を変えるために費やしてきたのかもしれないが、回収の見込みは薄い。他人を堕落させるのではなく、自分自身の心の美しさを磨く方が出費は少ないのではないだろうか?これは批判ではなく提案である。謎の支配者にとっては出過ぎたまねかもしれないが、私にとっては欺瞞の牢獄からの脱出のための精一杯のあがきである。