メロビーニョは怖くない

とある友人からのメッセージを読んで思った。メロビーニョの完成で不幸になるような人はいるのだろうか?と、もし、そのような人がいるのなら、メロビーニョは恐怖の対象にちがいない。そして、恐怖を感じているのが権力者であったり、豊富な人脈をもつ人物だったとしたら、メロビーニョの完成を阻止すべく動くにちがいない。と、誇大妄想の深遠を垣間見ることしきりの今日この頃。しかし、全くないとはいえないその恐怖を取り除く必要はある。

まず、メロビーニョの完成によって楽器演奏の熟練者が不要になるのでは?という誤解に基づく恐怖について考える。メロビーニョによって作曲というプロセスに必要だった楽器演奏能力という前提条件が不要になる。だからといって、誰でもがメロビーニョを使いこなせるわけではない。やはり、音楽的素養のある人物でないとメロビーニョを深く使いこなすことは出来ない。とりあえず使い方を覚えて、作曲の基礎をマスターしてしまえば、曲を創り出すことはできる。しかし、人の心に響くものが出来るかどうかは、音楽的センスと作曲技術に左右されるだろう。そして、音楽的センスと作曲技術は、楽器演奏の熟練の過程でも高められるものである。つまり、楽器演奏の熟練者はメロビーニョを使いこなすという面でも、一歩先んじているのだ。

次に、メロビーニョによって作られた楽曲が、そうでない楽曲を売上シェア争いで駆逐してしまうのでは?という誤解に基づく恐怖について考える。メロビーニョの作曲サポート機能を活用すれば、斬新な切り口の転調やコード進行の曲を創り出せる。とはいえ、伝統的音楽や各時代の流行曲などが霞んでしまうほどの名曲が綺羅星のごとく誕生するのかどうかは疑問である。たしかにメロビーニョによって音楽の幅は広がり、いままでになかった口当たりの曲は作れるだろう。しかしながら、それは新しいジャンルとして、音楽市場を拡大することはあっても、伝統と流行による楽曲の価値を失わせるほどのものではない。

最後に、メロビーニョが安価で売り出されたら、他のミュージックツールがシェアを奪われるのではないか?という誤解に基づく恐怖について考える。メロビーニョの試用版は無料で、完全版は2千~3千円で公開しようと考えている。たしかに、他のミュージックツールに比べると安い。しかし、致命的なことに、メロビーニョにはDAWとしてのオーディオ編集機能が全く無い。つまり、直接にはボーカロイドやアナログシンセエミュレーターなどと接続できないのだ。これらの機能を利用するためにはDAWの機能を持ったミュージックツールを利用する必要がある(メロビーニョからDAWへは標準MIDIファイル出力機能で楽曲を転送出来る)。つまり、メロビーニョが売れればDAWの需要も増えることになる。

以上のことから、メロビーニョによって不幸になる人間の数はほぼ0に近いと考えている。