先日、みらえもん氏から「君は絶対に勝利出来ないだろう」という心をえぐる一言をいただいてから、私の心象風景は敗戦色で深く沈んだ。しかし、そういうさなか、ふと購入した「幻想水滸伝5のサウンドトラック」の希望に満ちた数曲を聴くうちに、一つの希望に巡り着いた。「勝利の形は万人共通ではない」という真理だ。勝利とは他者を打ちすえ、滅ぼしたり支配したりするというものばかりではない。たとえば、真理に根差した言葉で相手の心を打つことも一つの勝利だ。また、自分を支配しようと企む他者の魂を、文化の力で染め上げる、という形もあるだろう。真理に根差した言葉は世界を変えることも出来ると、ブッダも言っていたはずだし、文化の力は某アニメで「ヤックデカルチャー」という驚嘆の言葉をもって受け止められたものだ。
私は、目下の敵のことを「ノーホープ」と呼んでいるが、これは、そいつが私を支配するために繰り出す手練手管から、そこはかとない厭世感を感じ取れるからだ。また、ノーホープは高い知性の持ち主であり、品性は下劣であることが判っている。情報の歪め方に品がないのだ。そして、情報操作をもってすれば何びとも支配出来ると思い上がっている。そのために、手始めに私を支配しようとしているのだが、直接コミュニケーションをとる事を避けているようだ。これさえ無ければ、私もわざわざ敵を作って、建設的でない思考や活動をしいられるマネは避けられるものだ。本当に残念でならない。ノーホープは協調の道を自ら閉ざしているのだ。
コミュニケーションが不可能で、正体も不明である存在に対する勝利とは、どんなものであろうか。まず、相手を打ちすえ支配する事ではありえない。なぜなら、振り上げた拳を打ちおろす先がわからないのだから。さればこそ、心打つ言葉と、魂を染める文化が物を言う。ノーホープに向けて言葉と文化を発信する事は可能な様だからだ。
当面の目標は定まった。言葉の力を高めるために真理を追究する事と、文化の結晶であるコンテンツの制作能力を高める事だ。これらは、私の戦いにとって有用なもので、かつ建設的な有りようでもある。ただし、虚と実の間で生きているノーホープの心の目は、私の言葉の中の真理を見つけられないほど濁っているかもしれない。また、厭世感溢れる魂は、楽しく美しい文化の産物を素直にあじわう事を許さないかもしれない。こればかりは、時間をかけて清らかな心を取り戻し、明日への希望を魂の中に育む様に誘導してゆくしかないだろう。自信は無いが、そういった力の源は、言葉と文化の中にあることは知っている。