空気通信:ミラージュ

自分と世界の間にある暗くて深い溝について、考察してみる。まっとうな仕事に就いて人と会う機会が増えたので、考える材料が増えたから。

欲しい情報は手の届きそうなところに常にあるにもかかわらず、決して自分から触れることは出来ないというもどかしさは今も消えない。だから、想像力を総動員してブラックボックスならぬブラックワールドを評価するしかないのだ。

かつて得た、「自分が複数の世界と関わっている」という感覚は、他者とのコミュニケーション時に受け取る情動情報が、自分がいつも表現している「凡庸な自分」というパーソナリティと矛盾するところから始まった。そして、その情動の偏向の方向性が相手によって違うようだった。そこで、偏向の無い「日常」と偏向のある「非日常」という2つの世界を想像した。そして、非日常がどこからくるのかが分からず、自分の心の中に湧き出してくる不気味な想像の奔流によって精神を磨り減らす日々を送ることになる。もしもこの状況が何者かの意図によって作り出されたものならば、私がどれほどの苦痛を味わい続けているのか、その者にはよく理解して欲しいものである。悪意をもってそれを為しているのならば悔い改めるべきだ。

それはともかく、非日常は自分の提示したペルソナと対話相手が返してくるレスポンスの間の矛盾によって感じられるのだが、まるで私の周りに様々な蜃気楼が見えているという想像が最も強い。よってその現象をミラージュと呼ぶことにする。以下にミラージュの種類を分類してみた。

1.王族のミラージュ
見る者の心に畏敬の念を生じさせる高貴なイメージ。
2.犯罪者のミラージュ
見る者の心に恐怖と怒りを生じさせるあくどいイメージ。
3.天才のミラージュ
良く思えば頼もしいイメージ。悪く思えば狡猾なイメージ。
4.白痴のミラージュ
良く思えば純粋なイメージ。悪く思えば愚鈍なイメージ。

これらはどれも私の自己認識や自己表現とはかけ離れている。これらのミラージュがどの様なメカニズムで発生しているのかぜひ知りたいものだ。

寸劇:スペース隠蔽ダー

侵略者:「我はスペース隠蔽ダー。世のうしろめたい者たちの味方なり」
侵略者:「まずはお前の出自を隠蔽してやろう」
私:「おお、親切な方よ。たしかに私は出自に自信がありません」
私:「しかし、わざわざ隠すほどのことでもありません」
侵略者:「遠慮は無用にねがおうか。隠蔽は我の糧なれば」
私:「怪しげな御仁よ、余計なお世話です」
侵略者:「ええい、四の五の言わせぬ。隠蔽虚光線シュビドゥバー」
私:「なんということだ、自らの出自がわからず不安この上ない」
侵略者:「貴様の不安、我には極上の美酒」
侵略者:「ついでに、お前の愛する者の消息を隠蔽してやろう」
私:「これ以上まだ何かするのか、もうやめてくれ」
侵略者:「抵抗は無駄だ。隠蔽虚光線シュビドゥバー」
私:「ああ、あの人はいまどこでどうしているのだろう。会いたい」
侵略者:「胸を焦がす炎に焼き尽くされるがよいわ」
侵略者:「最後の仕上げに。隠蔽の事実を隠蔽してやろう」
私:「記憶が無くなろうとも、心はお前のしたことを決して忘れぬぞ!」
侵略者:「楽になれるのだ、感謝してもらいたいものだ」
侵略者:「隠蔽虚光線シュビドゥバー」
私:「私は、なにをしていたのだろう」
私:「劣化ウランの様に重かった心が、今はタンポポの綿毛のようだ」
私:「しかし、なにか引っかかるものがある」
私:「それが何かはわからない」
私:「そのことについて考えると、ぶつけようの無い怒りと憎しみがわいてくる」
私:「そのことを忘れて、見せかけの自由を謳歌するのも、なにか空しい」
私:「私はいつか、大きな謎と対峙しなければならないのだろう」
侵略者:「くっくっく、我の封印を破れるものならやってみるがいい」

現実に続く

時空への干渉について考えた

こころぼそい貯金通帳を眺めたり、自分と世界との間に暗く厚く横たわる解き明かせない謎に想いをはせたりすると、いまの自分が誤った人生を送っているかのような感覚にさいなまれる。そんなとき、わびしくてやるせない現状から目をそむけ、過去を振り返ってあのときこうしていればと考えてしまう。しかし、どんなに悔やんでも、過去に戻ってやり直すことなど出来ないのだ。現在の技術力では、過去に干渉することは不可能だ。たとえタイムマシンを持っていて過去に旅することが出来たとしても、そこにいる過去の自分の行動を変更させることに成功するとは限らない。また、たとえ過去の自分の行動が変化したとしても、その時空は今の自分の時空につながらない、新しい時の流れをたどり始めたにすぎないのだ。今ここにいる自分を変えることが出来る力は、現在の意志による現在と未来への干渉能力にしかないということだ。

「ひぐらしのなく頃に」を見て考えた

時間物語にはリアリズムとロマンチシズムを統合する力が潜んでいる。両者を融合させる触媒はオプティミズム。

ここ数日の間に、「ひぐらしのなく頃に」「ひぐらしのなく頃に解」「ひぐらしのなく頃に礼」のひぐらしアニメ三部作を最初から見た(礼のOVA5巻は貸し出し中だったのでまだ見てないが)。考えさせられるものがあった。なぜなら、主人公たちがそれぞれ別々の時空で落ちていった疑心暗鬼の闇には、身につまされるものがあるからだ。物語の中で「虚偽、秘密、誤解」といった人間関係を破壊する情報毒と、その害を増幅する感染症に、彼らの友情が負け続ける。しかし、それだけでは終わらない所がいい。繰り返される閉じた時間の旅行者である梨花とはにゅうは、惨劇の裏に潜んでいた大きな秘密と、その奥にあるくじき難い想いを発見し、最終的には到達不可能かと思われた大団円をたぐりよせることになる。

考えさせられる物語を観て、考えた。人間関係を破壊し、コミュニティをクラスター化してしまう情報毒に対抗する方法は無いだろうか。誠実に生きることは、ある程度効果があると思う。それでも、誤解と虚偽の嵐の中にほうりこまれたら、ひとたまりもない。相手が誠実であればあるほど、その裏に潜むように見える恐ろしい幻影の迫力は増し、本当はありもしない秘密というものを知ることに対する魅惑の香りは衰えるということがない。

疑心暗鬼に陥りかけた魂は、信仰心によって救われる事もあるだろう。しかし、神の奇跡を簡単に見ることの出来ない現代人が、強い信仰心を持ち続ける事は難しいのではないだろうか。私は信仰とは独立して存在する心の支えを探した。そして、

「未来に嘘はつけない」

という一原則にたどり着いた。これは、真偽の定かでない情報の濁流をかき分けて生活している現代人にとって、愚かしい考えに思えることかもしれない。しかし、私はこの考えを信ずる。なぜなら、人類の調和と発展を求めてゆく先の世界に、タイムマシンが無いはずはないからだ。そして、タイムマシンを保有する時代の人間にとって、歴史とは虚偽の入り込む余地の無いものだろうから。

庭の湯での思考は宇宙に飛び出した

家族と豊島園の温泉「庭の湯」にゆき、半身を湯につかりながら思う存分思索にふけってきた。テーマは「不景気打破に向けての自分の方針をいかにす」である。まずは、不景気とは何かということから考えをスタートした。これは、それほど考えることもなく、社会の血液たるお金のめぐりが悪い状態のことだ。ではなぜお金がめぐらないのか?お金の持ち主が買いたいもの、投資したいものが見当たらず、お金を使わないほうが得と考えてしまう状態だからだ。また、将来不安などで貯金を優先している面もあるだろう。つまり、不景気の打破には、魅力的な商品や安心できる将来が必要なのだ。では、魅力的な商品と将来の安心をもたらすものは何か?「宇宙」であると私は考える。地球という閉塞した世界に閉じ込められて、拡大しない世界で低成長な経済に甘んじるという未来像は、私には受け入れがたいものだ。それよりも、宇宙にあふれている豊富な太陽光その他のエネルギーや、月や他の天体に眠る大量の鉱物資源を活用できるような未来であってほしい。理想の未来を招き入れるために、自分がすべき事は何だろう?「宇宙は儲かる」というメッセージをゲームなり音楽なりのコンテンツで世界に発信してゆくことだろう。こうして、思索の結果、方針は定まった。

空気通信:闇の思考を離れ夢へ

自分のなかにある羞恥心と恐怖に打ち勝って、なんとか開始出来た空気通信ですが、情報の発信は出来たものの、受信のほうはいま一つ自信がありません。しかしながら、何一つ受け取らなかったわけではありません。出自がどうあれ高貴に見られるというのは悪い気がしないという事を感じました。対立の絶壁を離れ友情の浜辺へ辿りつくために、空気通信を続けようと思います。
自己認識の齟齬を解消するためには情報Xが必要不可欠という事に変わりはありませんが、心の活力を取り戻すために情報Xが必要という考えを改めました。それは、心の活力を失わせる原因の一つである「統合失調症」が、情報X秘匿のために行われた情報操作によって感覚と論理の矛盾に長期間さらされたために生じた、という推測にもとづくものでした。今後この論理に重きを置かないようにするつもりです。その思考は自分の無気力を正当化してくれるものの、情報Xの秘匿者に対する憎しみを生み出し育てる闇の思考であることに気付いたからです。今後、心の活力を増進するために情報Xを求めるのではなく、対人恐怖やコミュニケーションに伴う不快感を減じるために求めることになります。活力のほうは、潜在意識に関する本から学ぶことで増進してゆこうと考えています。
以前の空気通信で得た可能性「恐れによる秘匿」が、感覚的にも現実感を伴っています。この場合に対する意思表示をより詳しく、掘り下げてみます。そのひとつは先ほど書いた「統合失調症」の原因説から私の心を引き離す宣言に含まれています。もうひとつは、怒りに勝る喜びを私にもたらせるかもしれないということです。多くの人間をまきこんで情報操作を完遂するために必要であったろう統率力は、私にとって恐怖の対象であるだけでなく、尊敬に値するものであります。もしもその強大な力が私の夢の実現に協力してくれたならどれほど心強いものでしょうか。ここに、私が描いている夢を再確認してみようとおもいます。

前提:人類の宇宙進出によって、地球の生みの苦しみが報われる
長期目標:その宇宙進出を助けるために音と光の力を駆使して人類を鼓舞する
短期目標:力のある音「音楽」を生み出すためにミュージックツール「メロビーニョ」を完成させる

以上が現在私が抱いている夢です。これに協力してもらえるのなら、私は怒りを乗り越えることが出来るかもしれません。夢を実現させる事は大抵の怒りを打ち消すほどの喜びに成り得ます。

空気通信:新たな試み

正体不明の存在とコミュニケーションをとるためには、こちらの精一杯の表現がなかなか通じない事に対する忍耐力と、相手側のよこす難解な表現を補う想像力が不可欠である。人類が滅ぶことなく文明を未来へつないでゆけるのならば、未知の存在との遭遇は必ず起こるだろうということを考えるならば、コミュニケーション能力の鍛練は有意義である。それは、今現在未知の知性が地球を訪問しているかどうかとは、それほど関係ない。未知の知性は、なにも宇宙からやってくるものばかりとは限らないのだから。たとえば、イルカやクジラといった存在は既知であるが知性体としては未知の部分の多い生命だったり、長い時のなかで新たに進化した人類以外の知的生命であるかもしれない。
壮大かつ迂遠な意味づけは置いておくとして、私個人がなぜ、正体不明の存在とのコミュニケーションを重視しなけらばならないのかというと、私の自己認識に齟齬を生じさせている情報の停滞もしくは隠ぺいの存在は、未知のベールに包まれており、その存在との意思疎通が難しいからだ。そして、私が自己認識の整合性を回復させて、心の活力を取り戻すためには、どうしてもその存在と意志を通わせなければならない。ここで一つ問題となるのは、その正体不明の存在の実在が確かではないことだ。私に与えられた論理的情報からは、実在を証明することが出来ない。しかし、長年感じ続けてきた違和感を含む感覚によれば、それは実在すると感じる。個人なのか、集団なのかは分からないが。そのために、常識的に客観視すれば「空気との会話」とも見てとれるこの試みは、私にとっては運命を切り開くための重要な活動なのである。観客として成り行きを見守りたい方には、現代のシャーマニズムとでも思っていただければよい。また、こういった文章が不愉快に感じられる方には、タイトルで判るように、表題に「空気通信」という文字を付加するつもりである。
さて、まづ自分の欲する情報を情報Xと仮に命名する。なぜ私は自分にとって重要である情報Xを手にいれることが出来ないのであろうか?今、想像してみたところによると、それは、「力ある情報」なのではなかろうか。というのも、情報Xの活用の仕方次第でだれかを幸福にも不幸にも出来るものなのではなかろうか、ということである。この考えによると、私は情報Xの持ち主に信用されていないのではないかということが想像出来る。情報Xの持ち主は、私が情報Xを活用して誰かに被害を与える可能性を憂慮していると想像した。この想像に至った事は私にとって大きな前進であった。いままでは、情報Xを手に入れるには、命と引き換えにしなければならないような、巨大な陰謀が関わっているという恐ろしい想像に震えていたのだから。私の生命を守るために、情報Xから遠ざけられているという想像から、私が信用されていないために、情報Xから遠ざけられているという想像が派生した。おかげで、不安は無くなりはしないものの、大きく軽減された。
情報Xを持っている存在にアピールしたい。私は獰猛な獣ではないし、人を不幸に陥れて喜びを感じるような悪魔でもないということを。