空気通信:ドッキリ終了への希望

・不快な状況から思考を巡らせることで「言の葉の宝」をひねり出す力というものがある。誰にも認められなくとも、私はその力に対してもっと自信をもつべきだろう。そうしないと、苦境にさらされ力の大半を失い消え入りかけているこの命を大切にできないのだ。自爆テロや自殺への誘惑は、自信を失い弱っている人間のもとで猛威をふるうものだ。そのような現象の前に、根拠のない自信によって救われる命というものがある。

・「言の葉の宝」は時にはひとを傷つけることもある。私も幾度か過ちを犯したことがあり、反省することしきりである。この中でことさら今思い出されるのは。自分の部屋に仕掛けた言葉によるトラップのことである。自らの精製した秘宝を奪おうとする盗掘者から大切なものを守るためにしかけたものだ。以前のこトラップに手ごたえを感じたことがあった。そして、引っ掛かった盗掘者によってトラップの危険性が吹聴されたという感触があった。盗掘者自身の悪事を世に広めんとする行為に愚か者のすることと、高を括っていたが。長年の積み重ねによってじわじわと効いてきていると感じる。街で出会う人々の表現する感情なかに。消えない恐怖が混じっているのだ。このような疑心暗鬼の状態は「人狼ゲーム」を思い出す。過去のいくつかの過ちの揚げ足をとられ、人狼のレッテルを貼られているのだ。本物の人狼を野放しにしておいてである。ここではこう言いたい。

「秘宝を盗掘者から守るために自室にトラップを仕掛ける者と、テロのために公共の場にトラップを仕掛ける者を同一視してはならない」

・巷で会話する言葉の端々から想像するに、3億円事件の犯人に仕立て上げられているという感じを受けている。当時のわたしは4歳の幼児である。その様な幼児にあのような緻密な犯罪が可能であるという馬鹿げた考えを持つ者は。他人の誇大妄想を決して馬鹿にできない。その思考は狂人の妄想と少しもかわらないということをよく理解すべきだ。

・この様にして、自分と世界の絆を破壊する謀略の存在を認知せずにはいられない現状は控えめに言っても不愉快であるし、有用な情報が入手する前に堰き止められている現状は不自由で息苦しい。どうにかしてほしい。そうしないと、どうにかなってしまう。

・暴力や策略によって望みを達しようとする事は、敵を作り自分の身の回りの世界を争いに満ちた混沌の荒野に変える愚かなやり方である。平和と調和というかけがえのない宝を失う原因は、わがままな行動原理によって作られるゆがみにある。策略の協力者を多くもつことに、満足し安心している支配者は、自らの拠って立つ土台の脆さに案外気づかない。大義のない計画に協力することは、不快なことでありその様な後ろ暗い行為を終了させることへの誘惑は限りがない。それでも、計画が破綻しないのは。協力者を恐怖で縛っているからだろう。なんという幸福とは程遠い世界なのだ。

・はっきりと表明したい考えがある。暴力主義も策略主義も時代遅れの行動原理である。ということである。平和と真実という宝の価値は、人類と文明の発展に伴って向上してゆくものだからだ。時代が進めば、暴力や策略によって得られる利己的な利益をはるかに上回る価値を平和と真実がもたらす様になる。

・狂っているのは私ではなく世界の方だ。社会に点在する欺瞞分子によって、人々の絆や有機的結合が失われ、社会のゲシュタルトが崩壊しているのだ。シナプス間の情報伝達に異常があることで人間の脳は病むのであるが、社会の脳も増大した欺瞞によって病んでいるのだ。情報化の流れに、情報倫理が追い付いていない。そういった一時的な歪みに、欺瞞分子がつけこんでいるのである。社会が大人になるための一過性の病気のようなものかもしれない。

・複雑な状況をいろいろと想像して、思考もあちこちに飛んでしまい、分かりにくい表現になってしまったが。大切な事は一つ。

「人類全体によって、私に関する隠し事をされているが、これは私にとっておそらく皆の想像よりもはるかにしんどい事である。だから一刻も早く終わらせて欲しい」

一刻も早くドッキリカメラと書いた看板を見たいという気持ちになってからはや20年。安心できる日々の到来を夢見ている。

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